おっちょこ★すいようび

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おっかわ寺子屋ちょっこりの呼び方…

「ちょっこり」と言ってみたり、「寺子屋」と呼んでみたり…

なんだかしっくりこないまま1年が過ぎ…。

先日、大学を出たばかりの若者が

「このおかし、『おっちょこ』の子どもたちと食べてください」と…。

 (*’’▽’’) えっ?なにそれ! いいじゃん!

というわけで、これから「おっかわ寺子屋ちょっこり」の通称は

『おっちょこ』になりましたので、よろしくお願いします。

えっ?おっちょこちょいの「おっちょこ」ですか?って?

…そうですね。そうとも言えますね。

 

さて、近況報告です

実は5月から毎週水曜日の午後3時から5時半という時間帯で

小学生対象の学習会を始めました。

なぜこの時間帯かというと、子どもが自分の意志で自分の足で来て帰って欲しいからです。

子どもたちには、筆記用具と自分がやりたい学習教材を持ってきて と言ってあります。

すでに4~5人の子ども達が通ってきていますが

宿題を持って来たり、くもんを持って来たりと様々です。

 

小学2年生ですが、丸い時計の読み方が分からなくて

ママに買ってもらったドリルを持ってきた子がいます。

オトナも一緒にやってみました。

…難しい。 

何が難しいって、問題の出し方が難しくて、解説がいるんですね。

答えを伝えることは簡単だけど、なぜそうなるのかを説明できない。

ここが「素人」の悲しいところです。

 

この子は、たぶん、学校で「分からない」ことを伝えられずに今まで来てしまったんですね。

自分で「分からないから教えて」と言えたら良かったのかもしれない。

テストで分かっていないことが分かった時点で、個別に教えられたら良かったのかもしれない。

家で宿題を保護者が見ていたら、つまづいていることが分かったのかもしれない。

保護者が時計の読み方を教えられる力や時間的・精神的余裕があれば良かったのかもしれない。

 

たかが時計の読み方、されど時計の読み方。

「今どきデジタル表示があるんだから、読めなくたって困らないじゃん!!」

そうなのでしょうか。

 

2年生が保育園さん用のドリルを広げているのを

1年生が見て言いました。「なんでそんな簡単なの分からないの?」と。

それを聞いて2年生は、さっとドリルを隠そうとしました。

そうだね、その気持ち分かるよ。

本当は時計読めるようになりたいよね。読めないのは恥ずかしい気持ちなんだよね。

大丈夫、隠さなくていいよ。

ここは分からないことを「分からない」と言うための場所なのだから。。。

 

心から思います。

中学生からの学習支援では遅いです。

「分かりたいのに分からない」「分からなくて恥ずかしい」って気持ちのまま

5年も6年も7年もの間「分からない」を積み重ねていく気持ちが分かりますか?

中学生になって、「自分の将来は自分で決めろ」と言われても

5年も6年も7年も積み重なった「分からない」を中学3年生になって

取り戻すにはどれだけのパワーが必要ですか?間に合いますか?

 

私たちの学習会のコンセプト

『「普通」の中に隠れている「困っている子」の困りごとを、その子(とその保護者)と一緒に考えて一緒に解消していく』

 

なかなか、小学生が自分の困りごとを自覚して伝えるって出来ないことだと思います。

オトナは子ども時代を経験しているので「それやっとかないと困るよ」と言いたくなります。

でも、それを言ったら負け(笑)。

子どもが、自分で「困ったと自覚して助けを求められた」という風に子どもに「思わせる」仕掛けをするのが「おっちょこ」のオトナの腕の見せ所なのだと思います。

 

こんな風にのんびりやれるのは、小学生が対象だからです。

中学3年になって、こんなことやれないですよ。だって思春期真っ只中ですし。

 

長文読んでいただきありがとうございます。

読んでいただいたみなさ、ぜひ、小学生対象の学習支援やっていきましょう~。

 

ということで、「おっちょこ」はまじめにふまじめに楽しくやっております。

 

  

なぜこんない暑苦しいお話にしてしまったかというと

わが子(中2)が、保護者(私)が悪い意味での放置をしたせいで「実は分からないことだらけだった」ということが先日発覚したばかりだからです…。なのでこの記事は自戒でごぜーます。なぜよその子にはデキルのにわが子にはデキナイのか(涙)

新学期です♪

新しい学年になって、新しく来た子ども達もいて

おっちょこは毎回にぎやかです。

 

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4月1日はエイプリルフール。

男の子たちが、「てるちゃんカワイイね」と言ってくれるので

本気で喜んでたら「エイプリルフールだし~」と…。

うん、愛されてるし!!

 

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オトナメンバーも増え、食事作りが少しずつ安定してきました。

この日はさんぞくオニギリです。

オニギリの具をたくさん揃え、好きな具でオリジナルオニギリを作りました。

 

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乙川小学校は5月末に運動会があります。

ダンス練習の様子です。

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気温が上がり、食中毒がとても心配です。

なのでこども食堂で出す食材は前日に購入するように

そして火を通したものを出すようにしています。

私たちは公民館を拠点にしているので

食材を保管するのにどうしても手間がかかります。

よその子ども食堂の安全対策が気になるこの頃です。

 

 

ありがとうございました

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3月10日 おっかわ寺子屋ちょっこり報告会

無事に終わりましたことをご報告いたします。

 

開催告知は2週間前。

広報はチラシと口コミ、直前のFB掲載のみ。

これだけなのに、1部・2部合わせて40名の方にお越し頂きました。

ありがとうございます!!

この事柄に関して、「どうしたらよいか」がまだまだ

分からない、そしてなんとかしたいという人がこの地域にはたくさんいるんだ!

ということが分かり勇気づけられました。

やっと「子ども達を取り巻く環境」にある課題が多くの人の意識に上がり

「よその地域のできごと」でなく「私たちのこと」として考えるはじめの一歩が

出たのかな。

…ちがうな。もうすでに「私たちのこと」と考えている人が

「じゃあどうしていこう」を一緒に考える段階に入ったんだと思います。

 

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 報告会アンケートに「子どもの居場所と貧困対策は違うのでは」というご意見を頂きました。

私もずっとそう思っていました、というかそう思いたかった。私たちは子ども達と楽しく一緒に過ごすのだ(笑)と。

でもそうではなかったです。

ここ最近のちょっこりには、毎回20名弱の子どもが集まります。子ども達と2週間に1回、たった5時間を一緒に過ごすだけでいろんな事が分かります。

なんのバイアスもかけずにただ口コミで集まった子どもですが、みんなそれぞれに課題を抱えていることが分かります。具体的には言えないけど。。。

「貧困」には「経済的貧困」「情報の貧困」そして「関係性の貧困」があると言われています。前二つは貧困状態が明らかになれば「与える」ことができます。

私たちがやっている「居場所づくり」は「関係性の貧困」へのアプローチなのではないかと思います。「関係性」は与えることはできません。互いに協力して「作る」ものだと考えるからです。

ちょっこりは、様々な価値観をもつ大人や大学生、高校生、中学生、小学生がある時間を一緒に過ごし、交流することで、価値観を共有したり、討論したり、関係づくりを練習し、失敗し、そして再構築する…。そんな学びの場なんだと思います。

そしてちょっこりに来る子ども達が、自ら関係性を作ることができるオトナになれば、自ずと経済的貧困・情報の貧困に陥らずに済むのではないか、負の連鎖を止められるのではないでしょうか。

Nurse Family Partnership( Oldsら,1997 )妊娠期から出産~2年間保健師・専門のトレーニングを受けた地域のサポートワーカーが個別に手厚く家庭訪問などの援助的介入をし、その後19年間追跡調査したところ虐待の連鎖がストップした という研究もあります。では直接その子どもにも積極的援助的介入ができたなら…。

関係性づくりの学習・支援は即効性や目に見える評価がしづらいように感じます。でも一度身に付ければ誰にも奪われることのない大きな財産になるのではないのかなと思います。

 

4月からは活動2年目となります。

難しい事いっぱい言いましたが、一番大切なのは楽しむこと!!

これからも楽しいことをいっぱいやっていきたいと思います。

応援よろしくお願いします。

 

 

 

おっかわ寺子屋ちょっこり 1周年記念報告会 開催のお知らせ

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ぼちぼち、手探りでやってきたおっかわ寺子屋ちょっこり、

ありがたいことに、1周年を迎える事が出来ました。

仲間と本当にたくさんのことを考え、子ども達に教えてもらう、良い場が出来てきたと思います。

成果 というほどのものでもありませんが、

ちょっこりで起こった出来事、子ども達の様子、見えてきた地域課題などを

直接ご報告できれば…と思い、報告会を開催する運びとなりました。

私たちの活動は公衆衛生・保健の立場からの子ども支援(アウトリーチ)です。

基調講演では、日本福祉大学看護学部の水谷聖子先生に

「地域の『つながり』が健康に及ぼす影響」

についてご講演いただきます。

お近くの方、よろしければご参加いただきますようご案内申し上げます。

日時:平成29年3月10日(金)①13:30~15:00 ②19:30~21:00

    ※①②の内容は同じです、よりたくさんの方に来ていただきたく2回開催にしました。

場所:半田市乙川公民館(愛知県半田市乙川西ノ宮町3-59-1

 

 

いつものちょっこり

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ちょっこりは、第1・3土曜日の10時から15時までの開催です。

オトナスタッフ(以後オトナ)はだいたい9時30分ごろに乙川公民館に来ます。

1週間ぐらい前からLINEでオトナを募集し、来れる人が集まります。

2人しかオトナがいない時もありました。学生さん入れるとオトナが8人ぐらいの日もあります。

昼食のメニューも、いただいた物やうちにあるものを見て、「今度はカレーにしようか?」という感じで決めて前日に買出しに行っています。

「いいかげん」が「良い加減」。緩く、自分達ができる範囲で、無理をせずに。もちろん無理をしたい人はして良いのです。関わるオトナが「自分の良い加減」を知ることが「自立」の第一歩だと思うのです。それを安心して伝え合える場であることが、子ども達のコミュニケーション力を育てる環境なのだと思うのです。

 

できること、やりたいことしかやらない。

ここにあるもので、自分がどう楽しむか。与えられることに慣れてしまった子どもは、最初は戸惑うようですが、少し説明をしただけですぐに自分の楽しみを探すことができるようになります。もちろん、周りにいる「楽しい事探し名人」の子ども達のお蔭ですけどね。

 

10時ごろに、あいさつと、オトナから今日のだいたいのスケジュールと子ども達へのお願い事項を伝えます。(お昼ごはんの時間とメニューとおやつの時間ぐらいです)そのあと子ども達からオトナに伝えたいことを聞いて、ちょっこりがはじまります。

ごはんを作りたい子は調理室へ、外で遊びたい子は外へ。とにかく学生さんは大人気、近くの白山公園にある自分達が作った秘密基地っぽいものを学生さんに披露し、そのあとはブランコを押してだの、おにごっこで追いかけて、だの もう甘え放題ww。

 

 

若さに嫉妬状態のオバちゃんたち。

オバちゃんは負けず嫌いなので、学生さんには無い自分達の価値を一生懸命探します。子どもが万が一やりたいって言ったらやろう!とこっそり裁縫道具を持って来たりして(゜.゜) おにごっこする体力は無いので、モノと技術で子どもを釣る(笑)

以外と釣れるんですよ。

ちょっこりでは子ども達に「提案」はするけど「強制」はしません。やりたくないならやらなくていい。帰ったって良いんです。でもやりたい子の邪魔はしないでね。ということ。

ここで「ちょっこりの守ってほしい事」が生きてきます。

「自分にとっては楽しいけど、他の人はどうなのか」「自分は嫌だけど、他の人は楽しい時、自分はどういう行動(言動)をしたら自分もみんなも楽しいのか」を考えるきっかけになるのです。

 

自分で作ったごはんは、どうであれ美味しい。

みんなで食べるごはんは、なんかしらんけど美味しい。

 

ごはんが終わったら、「あのね帳」を書いて、公民館の大ホールが空いていたらひと暴れして、そのうちおやつの時間になって…。

 

そんなこんなで、あっという間に5時間は過ぎていくのです。

 

これの何がいいんだろう。こんないい加減なのでいいの?と毎回心配になるのですが、これでいいだそうです。楽しいんだそうです。だから友達呼びたくなるんですって。そして4月には3人だった小学生が、半年で18人に増えてしまいました。

 

 

 

 

ぼくのすきなことってなあに?

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5年前に実際に会った子ども達のことです。

私が彼らに会ったのは彼らが小学校低学年のとき。それまでの私はボランティアでこどもと遊ぶことはあっても、仕事として子どもを「預かる」のは初めてでした。

朝、保護者に連れられて来た彼らはとっても「お行儀」がよく、ほんとうにかわいい子どもたち。

1日目、子ども達は「ここで何をしたらいいの?」と私に聞きます。

そりゃそうだ。オバちゃんは使命感に燃え、塗り絵だのボードゲームだの私のアタマで考え付くものを一生懸命絞りだして提供しました。子ども達は提供するとそれを「こなし」ます。塗り絵もさっさとこなし、子どもチャレンジもきちんとノルマをこなし、そしてまた「次はなにしたらいい?」と聞くのです。

2日目、子ども達はまた聞きます。「何すればいい?」

オバちゃんは必死に無い知恵を絞ります。子どもが楽しく過ごせるもの…プールにでも行こうか。とりあえず時間をつぶす。でもそれが終わると「次は何すればいいの」。そのうち「つまんない」「ひま~」とか言い出すわけです。するとオバちゃんはとっても落ち込むのです。お預かりしている子どもたちが満足するサービスを提供できないと。

3日目…。

疲労困憊、お金を頂いているのに子どもたちを満足させられない自分への敗北感で3日目にして逃げ出したい気持ちの朝。もともと子どもの生きる力を養うことを目指して始めた事業だ!子どもに「お楽しみ(とワタシが考えるもの)」を提供するのはやめよう。子どもに考える機会を与えよう!と決心して挑みます。

1日のスケジュールを伝えた後、子どもは私に聞きます。「今日はなにすればいい?」そこで私は「好きなことしていいよ」と答えました。

するとこう返されたのです。

「僕の好きなことってなに?」

私は頭に雷が落ちたぐらいの衝撃を感じたのを覚えています。

 

 

まあ、そこで私は何をしたかというと、徹底的に遊びを「提供」するのをやめました。

子どもが「一緒にやろ~」ということに徹底的に付き合うことにしたのです。

まあ、低学年が思いつくことなんてたかが知れています。すぐに終わってしまいます。でもいいの。だって自分がそれを「楽しいか楽しくないか」を知るためにやってみるのだから。

そのうち、高学年が大人用の大きなシャベルで穴を掘りだしました。やることないから穴でも掘ってみるか(笑)ぐらいのきっかけだと思います。

それが思いのほか面白く、そこから水路作りに発展していきます。

低学年はそれを遠巻きに見ています。自分から一緒にやりたいって言えません。私は一緒にやりたい低学年の気持ちを察しはしますが何もしません。

そのうち高学年がほかの楽しいことに流れていき、穴掘り場が空きました。さっそく低学年たちが穴掘り場に向かいます。遠慮がちに掘ってみる。

楽しい!!

そのうち高学年が戻ってくる。「俺たちの場所だし!!勝手に触らんで!!」

私登場。「すんごい水路じゃん!これってみんなで力合わせたらもっとすごくなるんじゃない!」と高学年を煽ります。私の仕事は以上ww

すると気をよくした高学年はチビたちに仕事をくれるのです。

チビ達は怖かった高学年と「一緒に遊ぶ」ことができて嬉しい!

それから夏休みが終わるまで、私は子どもから「何をしたらいいの」と聞かれることはほとんどなくなりました。

そのあと、子ども達の「考える力」に何度も感動させられたエピソードがあるのですがそれはまたいつかの機会に。

 

ここで出会った子ども達はわたしにとっては神です。

好きなことってのは、だれでも持ってたり知ってたり分かってたりするものではないんだ、当たり前のことではないんだ ということを教えてくれました。

感じたことを拾って言葉に変換して伝えるっていうことには訓練が必要なんだ、ということを知りました。

訓練というとおこがましいけど、でもそういう体験を子どものうちにたくさんすることが「自分のアタマで考えることができるオトナ」を育てることになるんではないのかな、という仮説をたてるきっかけを作ってもらいました。

 

教えてくれてありがとう。です。

ちょっこりのルール

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ちょっこりで一番大切にしているのは、前述のとおり「自分のアタマで考える」ができる環境を整えることです

これは子どもだけが考えるでなく、関わるオトナも「整えるためにはどうしたらよいか」を自分のアタマで考えるのです。

始めたばかりの3・4月はスケジュールはありませんでした。

ちょっこりのルールは3つだけ

①自分をだいじにする。同じくらいあいてをだいじにする。

②自分のものと人のものの区別をつける。

③あいてがいやがることをしない。

「ちょっこり」にいたければ、この3つだけは守ってください。

できない、守りたくないのならこの空間にはいられません。

以上(^^♪

 

漠然としていて子どもには難しいかも?

いえいえ、これも「自分のアタマで考える」ための仕掛けです。

子どもは本来とっても素晴らしい力を持っています。でも育つ過程でその力を発揮することを禁じられたり、発揮する場を得られないまま大きくなるとどうなるか。