いつものちょっこり
ちょっこりは、第1・3土曜日の10時から15時までの開催です。
オトナスタッフ(以後オトナ)はだいたい9時30分ごろに乙川公民館に来ます。
1週間ぐらい前からLINEでオトナを募集し、来れる人が集まります。
2人しかオトナがいない時もありました。学生さん入れるとオトナが8人ぐらいの日もあります。
昼食のメニューも、いただいた物やうちにあるものを見て、「今度はカレーにしようか?」という感じで決めて前日に買出しに行っています。
「いいかげん」が「良い加減」。緩く、自分達ができる範囲で、無理をせずに。もちろん無理をしたい人はして良いのです。関わるオトナが「自分の良い加減」を知ることが「自立」の第一歩だと思うのです。それを安心して伝え合える場であることが、子ども達のコミュニケーション力を育てる環境なのだと思うのです。
できること、やりたいことしかやらない。
ここにあるもので、自分がどう楽しむか。与えられることに慣れてしまった子どもは、最初は戸惑うようですが、少し説明をしただけですぐに自分の楽しみを探すことができるようになります。もちろん、周りにいる「楽しい事探し名人」の子ども達のお蔭ですけどね。
10時ごろに、あいさつと、オトナから今日のだいたいのスケジュールと子ども達へのお願い事項を伝えます。(お昼ごはんの時間とメニューとおやつの時間ぐらいです)そのあと子ども達からオトナに伝えたいことを聞いて、ちょっこりがはじまります。
ごはんを作りたい子は調理室へ、外で遊びたい子は外へ。とにかく学生さんは大人気、近くの白山公園にある自分達が作った秘密基地っぽいものを学生さんに披露し、そのあとはブランコを押してだの、おにごっこで追いかけて、だの もう甘え放題ww。
若さに嫉妬状態のオバちゃんたち。
オバちゃんは負けず嫌いなので、学生さんには無い自分達の価値を一生懸命探します。子どもが万が一やりたいって言ったらやろう!とこっそり裁縫道具を持って来たりして(゜.゜) おにごっこする体力は無いので、モノと技術で子どもを釣る(笑)
以外と釣れるんですよ。
ちょっこりでは子ども達に「提案」はするけど「強制」はしません。やりたくないならやらなくていい。帰ったって良いんです。でもやりたい子の邪魔はしないでね。ということ。
ここで「ちょっこりの守ってほしい事」が生きてきます。
「自分にとっては楽しいけど、他の人はどうなのか」「自分は嫌だけど、他の人は楽しい時、自分はどういう行動(言動)をしたら自分もみんなも楽しいのか」を考えるきっかけになるのです。
自分で作ったごはんは、どうであれ美味しい。
みんなで食べるごはんは、なんかしらんけど美味しい。
ごはんが終わったら、「あのね帳」を書いて、公民館の大ホールが空いていたらひと暴れして、そのうちおやつの時間になって…。
そんなこんなで、あっという間に5時間は過ぎていくのです。
これの何がいいんだろう。こんないい加減なのでいいの?と毎回心配になるのですが、これでいいだそうです。楽しいんだそうです。だから友達呼びたくなるんですって。そして4月には3人だった小学生が、半年で18人に増えてしまいました。
ぼくのすきなことってなあに?
5年前に実際に会った子ども達のことです。
私が彼らに会ったのは彼らが小学校低学年のとき。それまでの私はボランティアでこどもと遊ぶことはあっても、仕事として子どもを「預かる」のは初めてでした。
朝、保護者に連れられて来た彼らはとっても「お行儀」がよく、ほんとうにかわいい子どもたち。
1日目、子ども達は「ここで何をしたらいいの?」と私に聞きます。
そりゃそうだ。オバちゃんは使命感に燃え、塗り絵だのボードゲームだの私のアタマで考え付くものを一生懸命絞りだして提供しました。子ども達は提供するとそれを「こなし」ます。塗り絵もさっさとこなし、子どもチャレンジもきちんとノルマをこなし、そしてまた「次はなにしたらいい?」と聞くのです。
2日目、子ども達はまた聞きます。「何すればいい?」
オバちゃんは必死に無い知恵を絞ります。子どもが楽しく過ごせるもの…プールにでも行こうか。とりあえず時間をつぶす。でもそれが終わると「次は何すればいいの」。そのうち「つまんない」「ひま~」とか言い出すわけです。するとオバちゃんはとっても落ち込むのです。お預かりしている子どもたちが満足するサービスを提供できない…と。
3日目…。
疲労困憊、お金を頂いているのに子どもたちを満足させられない自分への敗北感で3日目にして逃げ出したい気持ちの朝。もともと子どもの生きる力を養うことを目指して始めた事業だ!子どもに「お楽しみ(とワタシが考えるもの)」を提供するのはやめよう。子どもに考える機会を与えよう!と決心して挑みます。
1日のスケジュールを伝えた後、子どもは私に聞きます。「今日はなにすればいい?」そこで私は「好きなことしていいよ」と答えました。
するとこう返されたのです。
「僕の好きなことってなに?」
私は頭に雷が落ちたぐらいの衝撃を感じたのを覚えています。
まあ、そこで私は何をしたかというと、徹底的に遊びを「提供」するのをやめました。
子どもが「一緒にやろ~」ということに徹底的に付き合うことにしたのです。
まあ、低学年が思いつくことなんてたかが知れています。すぐに終わってしまいます。でもいいの。だって自分がそれを「楽しいか楽しくないか」を知るためにやってみるのだから。
そのうち、高学年が大人用の大きなシャベルで穴を掘りだしました。やることないから穴でも掘ってみるか(笑)ぐらいのきっかけだと思います。
それが思いのほか面白く、そこから水路作りに発展していきます。
低学年はそれを遠巻きに見ています。自分から一緒にやりたいって言えません。私は一緒にやりたい低学年の気持ちを察しはしますが何もしません。
そのうち高学年がほかの楽しいことに流れていき、穴掘り場が空きました。さっそく低学年たちが穴掘り場に向かいます。遠慮がちに掘ってみる。
楽しい!!
そのうち高学年が戻ってくる。「俺たちの場所だし!!勝手に触らんで!!」
私登場。「すんごい水路じゃん!これってみんなで力合わせたらもっとすごくなるんじゃない!」と高学年を煽ります。私の仕事は以上ww
すると気をよくした高学年はチビたちに仕事をくれるのです。
チビ達は怖かった高学年と「一緒に遊ぶ」ことができて嬉しい!
それから夏休みが終わるまで、私は子どもから「何をしたらいいの」と聞かれることはほとんどなくなりました。
そのあと、子ども達の「考える力」に何度も感動させられたエピソードがあるのですがそれはまたいつかの機会に。
ここで出会った子ども達はわたしにとっては神です。
好きなことってのは、だれでも持ってたり知ってたり分かってたりするものではないんだ、当たり前のことではないんだ ということを教えてくれました。
感じたことを拾って言葉に変換して伝えるっていうことには訓練が必要なんだ、ということを知りました。
訓練というとおこがましいけど、でもそういう体験を子どものうちにたくさんすることが「自分のアタマで考えることができるオトナ」を育てることになるんではないのかな、という仮説をたてるきっかけを作ってもらいました。
教えてくれてありがとう。です。
ちょっこりのルール
ちょっこりで一番大切にしているのは、前述のとおり「自分のアタマで考える」ができる環境を整えることです。
これは子どもだけが考えるでなく、関わるオトナも「整えるためにはどうしたらよいか」を自分のアタマで考えるのです。
始めたばかりの3・4月はスケジュールはありませんでした。
ちょっこりのルールは3つだけ
①自分をだいじにする。同じくらいあいてをだいじにする。
②自分のものと人のものの区別をつける。
③あいてがいやがることをしない。
「ちょっこり」にいたければ、この3つだけは守ってください。
できない、守りたくないのならこの空間にはいられません。
以上(^^♪
漠然としていて子どもには難しいかも?
いえいえ、これも「自分のアタマで考える」ための仕掛けです。
子どもは本来とっても素晴らしい力を持っています。でも育つ過程でその力を発揮することを禁じられたり、発揮する場を得られないまま大きくなるとどうなるか。
めざすところ
エイヤー!で始めたこの活動
でもグループでやるんだったら、一応目的設定しようよ。
ということで、つくりました。
①安心して関係性を学ぶ場
②学習する機会
③日常生活に必要な知識・技術を身に付ける機会を
地域住民として場を整え提供することで
地域に住む子どもたちが
健全に育つことのできる環境を保障する
私たちは、教えるとか導くとか、そんな大それたことはできません。
でも「場を整える」ことぐらいはできるんじゃないかな。
ということです。
でも、これが後々とっても大切なことだったんだと気付かされたんです。
ちょっこりのはじまり
ちょっこりの活動は主婦4人の呑み会から始まりました。
4人とも小・中・高校生を持つ主婦。
特に裕福でもなく、特殊な技術を持つわけでもなく
ただ、自分の子ども以外の子どもに関わる機会が人より多めかな?
ぐらいのどこにでもいる絵に描いたような日本人40代主婦(笑)。
今の大学生や職場で一緒に働く若い子達みてると、気の毒だよね~って思うよ。
経験が少ないっていうか、叱られなれてないっていうか、失敗することが怖くて
オバサンにしたら大したことないことでもフリーズしちゃう。
とってもまじめで賢いし いい子なの。でもね、考えないのよ。
自分のアタマで考えるってことができないの。やらないんじゃなくてできないよ。
なんでだろうねえ。
「生きる力を育む」ってさ、なんとかの一つ覚えかってぐらい
学校や塾、国も言ってるけど、「生きる力」ってなんなのよ。
確かに、私たち生きる力は強いよね。でもなんで強いんだろうね。
ねえ、私たちで何かできないかなあ。
子どもの「生きる力を育む」環境づくりを私たちの身の丈でできることをやってみない?
難しいことは分からないけど、小学生宿題を埋めるぐらいならなんとかOK
ごはんつくるぐらいならできるかも
2週間に1回ぐらいなら大丈夫。
子どもの安全確保と遊びにつきあうぐらいならいいよ。
じゃあとりあえず、やれることがらやってみるか!
こんなふうにはじまりました。
はじめまして♪
おっかわ寺子屋ちょっこりです。
2016年3月に半田市乙川地区で 子どもを中心にしたまちづくり
という活動を始めました。
「居場所づくり」とか「子ども食堂」など
子どもを支えるコンテンツが様々ありますが
私たちは
専門家でもない、裕福でもない、ごく一般的な市民が
今あるものを活用して、無いものは無理のない範囲でなんとかして、
今自分の目の前にいる
子ども達の育ちを、なにかしらお手伝い、または応援をしたいと考え
この活動を始めました。
難しいことはよく分かりません。
だけど、今目の前にある課題、見えてしまった「なんとかしたい」と感じたことを
仲間と一緒に考え、行動することで、自分たちの住んでいるこのまちが
より良い方にむかうことのきっかけのひとつにでもなればいいなと思っています。
これから、私たちが何を大切に想い、何をしているか、そしてどうなっているのかを
このBlogに綴っていきたいと思います。
あたたかく見守って頂ければ幸いです。