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ぼくのすきなことってなあに?

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5年前に実際に会った子ども達のことです。

私が彼らに会ったのは彼らが小学校低学年のとき。それまでの私はボランティアでこどもと遊ぶことはあっても、仕事として子どもを「預かる」のは初めてでした。

朝、保護者に連れられて来た彼らはとっても「お行儀」がよく、ほんとうにかわいい子どもたち。

1日目、子ども達は「ここで何をしたらいいの?」と私に聞きます。

そりゃそうだ。オバちゃんは使命感に燃え、塗り絵だのボードゲームだの私のアタマで考え付くものを一生懸命絞りだして提供しました。子ども達は提供するとそれを「こなし」ます。塗り絵もさっさとこなし、子どもチャレンジもきちんとノルマをこなし、そしてまた「次はなにしたらいい?」と聞くのです。

2日目、子ども達はまた聞きます。「何すればいい?」

オバちゃんは必死に無い知恵を絞ります。子どもが楽しく過ごせるもの…プールにでも行こうか。とりあえず時間をつぶす。でもそれが終わると「次は何すればいいの」。そのうち「つまんない」「ひま~」とか言い出すわけです。するとオバちゃんはとっても落ち込むのです。お預かりしている子どもたちが満足するサービスを提供できないと。

3日目…。

疲労困憊、お金を頂いているのに子どもたちを満足させられない自分への敗北感で3日目にして逃げ出したい気持ちの朝。もともと子どもの生きる力を養うことを目指して始めた事業だ!子どもに「お楽しみ(とワタシが考えるもの)」を提供するのはやめよう。子どもに考える機会を与えよう!と決心して挑みます。

1日のスケジュールを伝えた後、子どもは私に聞きます。「今日はなにすればいい?」そこで私は「好きなことしていいよ」と答えました。

するとこう返されたのです。

「僕の好きなことってなに?」

私は頭に雷が落ちたぐらいの衝撃を感じたのを覚えています。

 

 

まあ、そこで私は何をしたかというと、徹底的に遊びを「提供」するのをやめました。

子どもが「一緒にやろ~」ということに徹底的に付き合うことにしたのです。

まあ、低学年が思いつくことなんてたかが知れています。すぐに終わってしまいます。でもいいの。だって自分がそれを「楽しいか楽しくないか」を知るためにやってみるのだから。

そのうち、高学年が大人用の大きなシャベルで穴を掘りだしました。やることないから穴でも掘ってみるか(笑)ぐらいのきっかけだと思います。

それが思いのほか面白く、そこから水路作りに発展していきます。

低学年はそれを遠巻きに見ています。自分から一緒にやりたいって言えません。私は一緒にやりたい低学年の気持ちを察しはしますが何もしません。

そのうち高学年がほかの楽しいことに流れていき、穴掘り場が空きました。さっそく低学年たちが穴掘り場に向かいます。遠慮がちに掘ってみる。

楽しい!!

そのうち高学年が戻ってくる。「俺たちの場所だし!!勝手に触らんで!!」

私登場。「すんごい水路じゃん!これってみんなで力合わせたらもっとすごくなるんじゃない!」と高学年を煽ります。私の仕事は以上ww

すると気をよくした高学年はチビたちに仕事をくれるのです。

チビ達は怖かった高学年と「一緒に遊ぶ」ことができて嬉しい!

それから夏休みが終わるまで、私は子どもから「何をしたらいいの」と聞かれることはほとんどなくなりました。

そのあと、子ども達の「考える力」に何度も感動させられたエピソードがあるのですがそれはまたいつかの機会に。

 

ここで出会った子ども達はわたしにとっては神です。

好きなことってのは、だれでも持ってたり知ってたり分かってたりするものではないんだ、当たり前のことではないんだ ということを教えてくれました。

感じたことを拾って言葉に変換して伝えるっていうことには訓練が必要なんだ、ということを知りました。

訓練というとおこがましいけど、でもそういう体験を子どものうちにたくさんすることが「自分のアタマで考えることができるオトナ」を育てることになるんではないのかな、という仮説をたてるきっかけを作ってもらいました。

 

教えてくれてありがとう。です。